今週はじめにたまたま家でセラミックの話になって、
「ナウシカがみたいー!!」
ってなっていたら、金曜ロードショーでナウシカが・・・!
物心つく前からずっとみてきた風の谷のナウシカ
そういう小さいときから見ていたものって、絵もセリフもしっかりと知っていて記憶しているのに、”意味”みたいなものがごっそりと抜け落ちてる
そんなときから20数年経って、すこしは映画の意味みたいなのが分かるようになったようで、ものすごく久しぶりに見たナウシカについても、「あ、これってこういうことだったんだ」みたいな、そんな感覚が今回はあった
小さいころによく見てたものって、今でもそのままの感じでもみれちゃうからふしぎ
ナウシカの意識
今回みていて「やっぱりナウシカってすごい!」って感動しちゃった
これは、ナウシカっていう作品がすごいっていうのはもちろん、”ナウシカ”っていう1人の少女のあり方のすごさが、年齢重ねた自分だからこそ分かるようになった感じ
もちろん、どんな人にも優しくて、毒をもつ植物や人間も虫もどんな生き物にも優しくて心から敬意を払っているようなナウシカはそれだけで素晴らしくてすごい
でも、いくつかのシーンを通して思ったのが、 ”ナウシカの姫様としての意識” が徹底していること
たとえば、乗っている飛行船がいまにも落ちそうでパニックになっているおじいちゃん3人に対して、少しでもマスクを外したら自らの命が危ない、っていうような状況で、マスクをとって、落ち着いて話かけ、笑顔をみせることで心からの安心感を与えてしまうナウシカ
ナウシカの笑顔をみて、ほんの少し前まで「もうだめじゃ!死ぬ〜!」って言ってたのに、「姫様が笑うてるぞ!助かるんじゃ!!」ってなっちゃうおじいちゃんたち
きっと、今までずっとナウシカはこうやって風の谷の人たちを”姫様”として励ましてきたんだなぁーっていう
そして、自分の影響力を痛いほどにナウシカは自覚してるから、そんなに強い行動をとれるんだなーって
たくさんの名シーンをふっとばして、最後の村に襲い来るオウムの群れの前に自分とオウムの子供を降ろせ、とナウシカが言って、おろしてもらい、ふっとんでしまうシーン
これを見て感じたのが、
「あぁ、これっていわゆる生贄(イケニエ)と一緒なんだ」
っていうこと
オウム=自然の象徴だから、その怒りを鎮めるための生贄っていう構造そのもので、これってまさに昔ながらの日本なんだなって思った
ある程度の時代になったら、村の娘が年に1度選ばれて大洪水とかになったらそこに身投げさせて自然を鎮める、って感じだと思うけど、"ナウシカの意志"みたいなのがあることを感じると、もっともっと昔の日本的なのかな〜とかおもったり
きっとナウシカの姫様って、邪馬台国の卑弥呼みたいな感じなんだろうな
守られていく存在ではなくて、守っていく側、率いていく側の人
その自身の ”姫様としての責任に対する尋常じゃない覚悟” みたいなものがあるから、ナウシカってこんなにも優しくて、こんなにも強くなれるんだなぁ
自分の運命を受け入れてる人なんだな
みたいなことを、ひさしぶりのナウシカをみて思いましたん
やっぱりナウシカすっごく大好きだったなー
まだまだ見てて頭が子供のままだから理解できてないことだらけだから、またみよーっと
そういえば、赤は怒ってる、青は落ち着いていて静けさなんだ、っていう色に対する認識があるっていうのを子供ながらに初めて知ったのは、ナウシカだったなー
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